「おもしろいかどうか」
その裏側に隠された想い。
勝利の喜びを分かち合うためにスタジアムを一周する中村憲剛選手。その頭には、コラボレーションパートナーであるロッテの『コアラのマーチ』の被り物。川崎フロンターレは、Jリーグの中でも選手が被り物をする機会が断トツで多いクラブ!
ある時は「バナナ」。またある時は「車掌の帽子」と、バラエティーに富んでいます。これはどれもコラボレーションするパートナーの商品に関連するもの。プレー以外で提供できる価値を選手自身も理解し、協賛する企業へのインパクトにつなげています。「川崎フロンターレはおもしろいことをするクラブ」という独自性を、川崎フロンターレに関わる人たちが一緒になってつくりあげていることがわかります。
川崎フロンターレのコミュニティでは理解され好意を持たれている取り組みも、他のクラブの硬派なサポーターからは、「サッカー選手をおもしろおかしく使うのはどうなんだ」という声も少なからずあるようです。しかし、クラブにはしっかりとした狙いがあり、選手はそれを理解した上で先頭に立って協力してくれていると井川さんは言います。
「クラブとして企画をやる時は『話題性』、『地域性』、『社会性』があるものにしたいんです。なるべく、この3つが揃っているのがベストです。3つ揃わない時もありますが、サッカークラブが何でこんなことをやっているの?と多くの人に興味を持ってもらう可能性を少しでも高めるためです」(井川さん)
1つ目の『話題性』。スポーツに限らず日本中に数多存在するコンテンツの中から「川崎フロンターレ」を選んでもらうために、話題性のある企画の実施とSNSの活用で「サッカー」という枠の中だけではない幅広い露出を狙っています。
これまでも『ISS(国際宇宙ステーション)』や『南極の昭和基地』との生交信など、数々の話題イベントを実施していますが、この日も数日前に豊洲市場で話題になっていた「ターレ」を地元の川崎北部市場から急遽手配し、ターレに乗ったスペシャルゲストのDJ KOOさんがスタジアムを熱狂させていました。このように川崎フロンターレは独自のストーリーをどんどん多彩にしながら自ら話題をつくり、圧倒的なスピード、且つ尖った企画で実行しています。
スタジアムを盛り上げるDJ KOO氏。
旬のテーマに目をつけ企画を実現させるフットワークの軽さと実行力。ファン・サポーターはもちろん、地域の人や企業からも「川崎フロンターレは、次はどんなおもしろいことをしてくるんだろう?」という期待が、常にクラブに寄せられるサイクルが生まれています。そして、コラボレーション企業にもしっかりとインパクトを残すWIN-WINの関係が築かれています。
「川崎のために」という、
想いでつながっている。
2つ目の『地域性』。企画に地域性を持たせることで、「川崎だから」、「地元だから」とファン・サポーターはもちろん、サッカーに興味のない地元の人たちの関心も集めることができます。そして、昔のイメージからあまり良い印象を持たれていなかった「川崎」という町の価値を高めることにもつながっていく、と井川さんは言います。
実際に「この町を元気にしたい」、「川崎の魅力を発信したい」という声は、地元の人たちや行政からもあがっていたそうです。その想いは、サポーターにとってのパーパスとも言えるかもしれません。サポーター有志の方たちにはクラブへの想いはもちろん「川崎のために」という共通の想いがあるため、試合日以外の集客の手伝いや企画実現への協力を惜しまないそうです。
時にイベントの企画や打ち合わせで意見がぶつかることもあるそうですが、クラブを想う者同志、本音で話せる関係が築かれていると感じます。「自分たちが川崎を良くしていく」と志を持つ人たちの川崎フロンターレを通した共創、幸せな関係はこの先も長く深く続いていくのだと思います。
等々力陸上競技場の最寄り駅「武蔵小杉」は再開発で次々にタワーマンションが建設され、急激に人口が増加している人気エリアになっています。昔から地元に暮らす人たちと新しく移り住んだ人たちとで、いかにコミュニティを形成するか。日本の都市部共通の課題でもある「つながりの希薄化」に対しても、川崎フロンターレは大きな役割を果たしています。
「今日は勝った?」、「フロンターレ強いじゃない」とご近所さんとの会話につながったり、居酒屋でサポーター同士が意気投合したり。見ず知らずの人たちが川崎フロンターレを通してつながることで、スタジアムでの良好な関係が町にも広がり、持続可能なコミュニティがつくられているとサポーターの方々は言います。
サッカークラブが考える
社会価値とは。
3つ目の『社会性』。元々、Jリーグの理念として「地域密着」が掲げられていますが、川崎フロンターレはスポーツの力、サッカーの力で、地域の活力になる社会的活動をいくつも実施しています。
象徴的な取り組みの一つに挙げられる、2009年誕生の『川崎フロンターレ算数ドリル』。このドリルは、翌年から川崎市内の全小学校に配布され、副教材として活用されることになります。選手を起用し、サッカーや川崎を算数の問題に絡めることで、楽しみながら学ぶことができ、同時に地域の理解促進とクラブへの愛着づくりにもつながっています。学習効果定着に寄与するとして教育的価値が認められたこの活動は、川崎市、教育委員会、学校の先生、川崎フロンターレが共創し、社会に独自の価値を提供した好例だと言えます。
社会性は、川崎フロンターレに関わる人たちに共通したマインドです。2011年に発生した東日本大震災に対し、クラブは独自の被災地復興支援活動として『Mind-1ニッポンプロジェクト』を立ち上げます。一過性の活動ではなく継続した支援を行うためにクラブ、選手会、後援会、サポーター、川崎市とで委員会をつくり、数々のサポートを実施してきました。
中でも震災で甚大な被害を受けた地域の一つ岩手県陸前高田市との長く深いつながりは、川崎フロンターレの志がなければ生まれなかったものです。そのきっかけは、先に紹介した『川崎フロンターレ算数ドリル』が、教材として寄付されたことでした。「震災の津波の影響で学校教材が不足している」と連絡を受けた川崎市の先生からクラブへの打診に、寄付するだけに留まらず、直接現地に運搬し児童一人ひとりに手渡したそうです。2011年にはじまったクラブ独自の支援、陸前高田の人たちとの交流は今日に至るまで続いています。
取材当日に行われていた『かわさき修学旅行』もその一つ。2011年から毎年実施し8回目にもなる取り組みは、陸前高田の人たちを川崎に招待し、「川崎フロンターレとはどういうクラブなのか」、「川崎はどんな町なのか」を、スタジアムや町での交流や体験を通して知ってもらうことを狙いとしているそうです。
クラブスタッフ、サポーター有志が出迎える中、陸前高田からの長旅を感じさせることなくスタジアムに到着した『かわさき修学旅行』の一行。誰もが笑顔で、これからの時間が楽しみでしょうがないという雰囲気であふれていました。スタジアムの芝を確かめたり、選手バスの到着をお手製の弾幕を掲げ出迎えたり、試合当日の熱を肌で感じた子どもたちの目はきらきらと輝いていました。
震災をきっかけにつながった川崎フロンターレと陸前高田。少しずつ絆を深めてきた時間、この先も続いていくであろうお互いを支えあい、想いあう関係性。川崎フロンターレが大切にしている価値観が、そこにはありました。
「支援はブームじゃない」を合言葉に、続けてきた『Mind-1ニッポンプロジェクト』。今も変わらない想い、熱量で行動する人たち。川崎フロンターレに関わる人たちが築いたコミュニティから生まれるものには、人を「巻き込む力」と「広げていく力」があります。その原動力はどこにあるのでしょうか。