はじまりは、
目の前でロスが生まれるモヤモヤ
―――はじめにフードロスに関して興味をお持ちになり、取り組むようになったのかお聞かせいただけますか。
平井氏:実は、これっていうインパクトのある出来事があったわけではなくて、漠然と「食」に興味があって、将来は食に関連する仕事に就きたいなと思っていたんです。だからといって別に料理の勉強していたわけではないんですが。で、食の仕事をいきなりはできないなと思って。こんなこと言うのもなんですけど、つぶしが利くなと思って、まずは広告会社に勤めました。まあいろんな業種の方ともお話できますし、ここで出会うことって絶対無駄ではないですし。また広告業界にも興味があったので、そこで営業職として飛び込みました。
そこで、自分で選べる仕事の時は、流通の仕事をして食に携われるようにしていました。例えば、恵方巻ってあるじゃないですか、フードロスですぐニュースになっちゃうものですけども。あれが西から東に来た時に、恵方巻の販売促進をしていました。販売促進という形で間接的に関わっている中で、目の前でロスが生まれているということを経験していたのと、ロスを促進している感じというのがなんとなく気持ちがよくなかった。一方で、その立場で何ができるかというわけではなく、モヤモヤとした気持ちがずっとありました。それに相変わらず食で仕事をしたいなと思っていたので、30歳で独立して自分で食のプロデュースとかプロモーションの仕事を始めるようになりました。
「思いのほか楽しかった」から
つながっていった
サルベージ・パーティ
―――そんな中でサルベージ・パーティが生まれた経緯はどのような感じなのでしょうか?
平井氏:そうですね。私も自炊をするので、生活者としてもやはり捨てているんですよね。もちろん気をつけてはいるんですけど。それもモヤモヤしますし。それに食まわりの人たちで、僕と同じようにモヤモヤを抱えている人たちがいっぱいいたので。それで、知り合いのシェフの方を一人呼んで、みんなで食材を持ち込んだのがはじまりです。友人20人くらいを呼んで、大学のサークルのようなノリでした。その時は一回で終えるつもりでしたし、「サルベージ・パーティ」という名前ですらなかったんです。みんなで語り合うというわけでもなく、ただ始めただけだったんですけど、思いのほか楽しく、何回か繰り返したんですよね。
すると、今度は真似をする人が増えてきて、「やり方教えて」とか問合せがくるようになりました。それが都内だけではなく、地方の人も言ってくれるようになったので、まだ任意団体だったんですけども、事務局をつくって、問い合わせ機能をつくって、名前をつけて、ロゴマークをつくって、ホームページを立ち上げて、そんな感じではじめていきました。その時はまだ商売にしようとは思っていませんでしたね。よく「海外の事例を真似したとか参考にしたんですか」とか聞かれるんですけど 、そんなことなくて。むしろまだ、その当時はフードロスについて実はあまり勉強していなかったんです。
※サルベージ・パーティとは…サルベージ・パーティの“サルベージ”は「救出する」という意味。サルベージ・パーティは、家で余っている食材をみんなで持ち寄って料理をして、できた料理をみんなで楽しむパーティのこと。
平井氏の活動の原点には、フードロスが目の前で起きているモヤモヤ、食に関わりながらも何ができるんだろうというモヤモヤがありました。また、周りの人たちのモヤモヤを巻き込みながらはじまった「サルベージ・パーティ」が、後付け的に広がっている様子に、アクションを起点に社会課題に取り組む大切さを垣間見ることができました。続いて日本のフードロスが抱える問題点について平井氏の考えを聞いていきます。