Rashii

激動の時代を生き抜くエクスポネンシャル思考 エクスポネンシャルジャパン齋藤和紀氏

「シンギュラリティを起こす」と
決めている人たちが、
世界にはいる。

エクスポネンシャルジャパン 齋藤和紀氏

―――『シンギュラリティ』の捉え方について、みんなどこか怖いという感じがあると思うのですが、シンギュラリティの本質的な意味合いについてお聞かせいただけますか。

齋藤氏:シンギュラリティがこういう意味合いで使われはじめたのが2005年の話なので、「今になって話題になっている、バズワードになっているのがそもそも遅いな」という感じがすごくあります。ただ世界の中では「シンギュラリティが来るかもしれない」という前提に基づいて動いている人たちがいるということが、非常に重要かなと思っています。

レイ・カーツワイルが『THE SINGULARITY IS NEAR(シンギュラリティは近い)』という本を書いてから十何年も経ってやっと「何となくこのスピード感が結構やばいことになってきたぞ」と日本の人たちが気づきはじめたのが、シンギュラリティを話題にするようになった原因なのかなと。

THE SINGULARITY IS NEAR シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき レイ・カーツワイル

「シンギュラリティが来る・来ない」というのは意味がないと思っています。来ても来なくてもいいけど、「シンギュラリティをみずから起こすと決めている人たちが世の中には結構いる」というのが重要なのかなと思っています。

―――そういう方を『シンギュラリタリアン』とかって・・・

齋藤氏:そうですね。シンギュラリタリアンという人たちはどちらかというと「シンギュラリティが来るぞ」と強く信じている人たちです。実際のところ「シンギュラリティをみずから起こす」と思っている人たちもいます。孫さんも含め、世の中にはそういう人たちがいて。そこに向かっていろんなパワープレイをしかけているイメージがあると思います。今、明らかにテクノロジーの進化のスピードって加速しています。そのスピード感を「さらに」速めようとしている人たちがいるということです。

とは言え、シンギュラリティをイメージするのってすごく難しいと思っているんです。私も含めて普通の人は、「シンギュラリティで何が起こるのか?」っていうのは正直理解ができないので、「人工知能VS人間」みたいなすごく小さい議論にされてしまうんです。でもそういうことではなくて、「テクノロジーの進化そのものが止まらなくなってしまう」という話と「人類自体がポストヒューマンに進化していく最終過程にいる」というのは、今のテクノロジーの進化のスピードを見ると明らかなのかなと思います。

例えば、「バイオテクノロジー」一つとっても肉体の限界を超えようとしているとか、中国の深圳で遺伝子編集されたベビーが生まれたとか、遺伝子レベルでいろんなことを変えようとなってきています。例えば、脳とコンピューターをつなげようというのが進んできて、インターフェースを介さなくても直接外のものを動かせるようになったり。例としてはいろいろあると思うのですが、ロボットにしても、モバイルテクノロジー、モバイルコンピューティングにしても、人間の能力そのものを「エンハンス」する方向にいっているのは間違いない。それは「かつての人間と今の人間」とヒト一人とっても、できることが全然違っているのは明らかですが、それが劇的に加速していく、バーチャルリアリティーの世界の中もどんどん膨らんでっています。

―――マトリックスの映画みたいな・・・

齋藤氏:マトリックスの映画って、もう10年以上前ですよね?あの時代にこれを想像していたのはすごいですね。考え方としてはあったというか、精神だけを電脳世界に飛ばすみたいな考え方。シンギュラリティも『エクスポネンシャル』も2次元に起こすとこういうグラフ(下記の図)になるんですけど、つまりは全体に向かって広がっているのかなと。

宇宙がまさにそうで、周りに対して360度というか球体がうわーっと広がっているイメージだと思うので。それを2次元のグラフにすると、こうなっちゃうんですけど。一つひとつのポイントを見ると、それがすごく止まっているように見える。みずからがどこにいるかというポイントによって、見え方が違うと思うんです。でも全体を俯瞰して見た時には、宇宙全体が広がっていっているし、それに基づいて我々の生活もどんどん膨らんでいっているんだろうなということを感じます。

実は、物事は
エクスポネンシャルに
伸びていく。

エクスポネンシャル思考 齋藤和紀

―――『エクスポネンシャル思考』について詳しく教えていただけますか。

齋藤氏:『エクスポネンシャル思考』を書いた前提としては、「エクスポネンシャルが考え方として必要だ」と思ったというのがあります。例えば、シリコンバレーでもエクスポネンシャルという言葉がすごく使われていますし、中国で話をしていても思考回路にそれに似たようなものがあるんじゃないかなと思います。

一つは、「特にテクノロジーがデジタルに置き換えられ、成長過程が倍々で進む」ということなのかなと思います。人間の思考回路は過去の経験に基づいて先の未来を見通すことはできるので、直線的な未来はなんとなくわかります。この直線がずっと続くような感覚に陥っているんですけど、「いやいやそうではなくて、実はエクスポネンシャルに物事は伸びるんだよ」ということを、日本の外にいる人たちは感覚的に理解しはじめているし、それに基づいて物事を進めているような気がします。

日本語には適切な言葉がなかったので『エクスポネンシャル思考』としました。「指数関数的な思考」と言っても何となくよくわからないので。エクスポネンシャル思考は考え方の基本として必要であり、他の思考法とはバッティングするものではなく非常に相性のよいものだと思っています。

基本的に我々が考えるエクスポネンシャル思考というのは、3レイヤーになっています。最初に「オペレーティングシステム」と「アプリケーション」と分けたんですけれども、オペレーティングシステムとはつまり一般教養としての部分。一般教養として最先端のテクノロジーが一つひとつではなく、全体としてどういう社会をつくっていくのかという明確な理解、教養が必要なんじゃないかなと思っています。その上に、シリコンバレーマインドのような「やっちゃえよ」と言われるようなマインド。そして、仲間を集めて引き寄せて巻き込んでいく力、「ムーンショット構想力」も非常に重要なんじゃないかなと思っています。

オペレーティングシステムの一般教養の部分というのは、やはり時代に応じて一般教養というのはずっと変わってきたと思います。100年前を見てみると、例えば算数はここまで一般教養だと思われていなかったけれども、経済が発展してきて算数は一般教養になってきた。今だと英語が一般教養になっているし、プログラミングが一般教養化してきています。それと同時にやはりテクノロジーを俯瞰するというのが、一般教養になるべき時代なのかなと思っています。

テクノロジーというのは日々変わっていくものなので、それをパッケージ化した教育を提供することは難しいだろうと思います。そうだとすると学校教育というのが今のあり方であってはいけないし、例えば大学が入学して卒業するだけの場所で本当にいいのかと。知識として身につけて終わりじゃなくて、テクノロジーはずっと学んでいかなくちゃいけないので、入学・卒業という概念すらなくなる。仕事をしながら一生をかけて学び続けなきゃいけないものになっている。その2つのレイヤーをちゃんと理解できると、やっぱりエクスポネンシャル思考の実践というか、完成されたエクスポネンシャル思考というのができるんじゃないかなと思っています。

「何でそれをやっているのか?」というと、究極的にはシンギュラリティだと思います。シンギュラリティというのは「来る・来ない」を議論するのではなくて、人類にとっての究極目標みたいなものであって、「それをいかにいいものにするのか」というのが、我々が取り組んでいることです。いかにいいシンギュラリティをみずからつくり出していくのかというところが、エクスポネンシャル思考を私が書いた一つの理由ですね。

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